滞在3日目、土曜日。この日は10時間近く、ひたすら英語のプレゼンを聞き続けるというハードな日……。前のめりになる話もあれば、全然耳に入ってこないものもあり。もちろんわたしの英語力の問題もあるけれど。
非常に興味深かったのはアンマン(ヨルダン)のReham Sharbajiのプレゼン。通訳でもある彼女は、自分の映像作品をここのギャラリーで展示しているにもかかわらず、その話は一切せず、アンマンのアートシーンについて語ってくれたのだった。彼女の語るヨルダンの姿はわたしがイメージしていたそれとは全然違うもので、ものすごく新鮮だった。ぜひ後で話したい、と申し込んで、ディナーの時間にゆっくり話した。「これは失礼かもしれないけれど……」と前置きした上で、治安についても質問する。アンマンは安全だと思うけど、プライバシーはないかもしれない、でも私は「政治的」じゃないから大丈夫、と彼女は言う(イデオロギー的ではないという意味で)。ISやシリア内戦の影響については、国境で軍隊がせき止めているそうだが、その情報はメディアではほとんど入ってこないという。また、彼女の関心が都市にあるらしいことも興味深い。コミュニティというより、可変的な都市に関心があるのだと彼女は言う。レハムとはいずれ何らかの形で一緒に仕事をしてみたい。そのためには一度ヨルダンに行ってみないとな……。
ヘルシンキから来ているアリーナたちのスペースも面白そうだった。こういうのって恥ずかしいかもな、と恐れつつ、アキ・カウリスマキの映画が実は好きで……と話すと、セッポが「カウリスマキは友だちだし、普通にいるよ」と言う。もちろん本当かどうかは今はわからないけど、映画好きとしては興奮を禁じ得ない。白夜の映画祭、というのが夏にあるともアリーナは教えてくれた。白夜か〜
プレゼン大会では、難民についてのプロジェクトの話をいくつか聴けたのも良かった。特にFilomeno Fuscoのは印象的で、なぜかというと、ともすればシリアスになりがちな問題を扱っているにもかかわらず、そこに関わる人々が幸せそうだったからである。レストランで難民たちと一緒に料理をつくる、というシンプルなものだったが、実際この夜にその人たちも来ており、我々のためにカレーを振る舞ってくれたのだった。おそらくFilomenoにとって、難民たちは彼の作品の対象物ではなく、あくまでも良き友人なのである。
様々な考え方があるし、あっていいとも思うけれど、わたし自身の創作の倫理としては、やっぱり作品のために他人を「対象物」としてしまうことには抵抗があって、だからその意味ではただ「友だち」になりたい。もちろん友だちになれる人となれない人はいるし、そのために「作品」になりえないこともありうる。当然、かなり偶然性に左右されることにもなる。それでも、わたしにとってはその偶然性(あるいはその集積としての運命)と付き合っていくことのほうが面白い。ここ(ハンブルク)に来る前は、そういうのって作家としては甘い考えかもな……と頭の片隅では思っていた。もっと残酷にコンセプチュアルに「作品」をつくるということが、アーティストとしては必要なんじゃないかと。でも今となっては、究極的にはただ旅をして、各地でいろんな人と友だちになる、ということそれ自体がわたしの作家性であるようにも感じている。もちろん「作品」もいちおう(いや、いちおう、ってこともないけど)つくるけど、それよりもそのプロセスというか、誰とどう何を交わし合って生きていくか、ということのほうがわたしにとっては大事で、しかもそれはお互いに人間である以上、いつもうまくいくとはかぎらない。どんなに倫理的でありたいと願っても、人間が不完全な個体である以上、失敗ということはその活動の総体の中にどうしたって含まれるのである。……こうしたこの考え方(生き方)は、きっと世界的に通用する、と今は思う。少なくとも手を結べる人たちは世界のあちこちにいる。とはいえ「そんなのは作品じゃない」的な考え方が未だに根深くあることも理解できるし、わたし自身、なし崩しに「なんでもアリ状態」になることはまったく望んでいない。だからこそ旧来の美学的クライテリアとは異なる言説が必要になるわけで、そこでは批評家としての能力が役に立ってもくれるだろう。
ちなみにそれは「演劇」の枠を越えていくという話とも繋がる。「こんなのは演劇じゃない」的な話はどこの国にもあって、おそらくこの10年くらい、世界同時多発的に繰り返されてきたセリフなんだろう。しかし今や、そのセリフがもはや過去の異物であるという意識もまた、世界的に共有されている。演劇をはじめとして様々なジャンルで培われてきた芸術(すなわち技術/視点/知/哲学)とそれを抱えたアーティストたちはすでに都市に潜入(penetrate)しているし、芸術は(それぞれの)社会とはもちろん関わるけれど、別にただ社会のためにやっているわけじゃない、的なこともかなり共有されてきていると感じる。後はそれらの個別具体的な取り組みを、いかにネットワークし、またいかに言説化し、そしてのちの世代に繋いでいくことができるかという。おそらくそういうことが批評家としての自分のこれからのミッションになると思う。
あと実は来年のマニラ(KARNABAL)に向けて密かに温めているアイデアのために、あ、この人かも、と思える人に思い切ってオファーをしてみたのだが、「私、今からベルリンに帰らないといけないの」との答え……。うーん……。しかしこれでベルリンに行く理由ができた、とポジティブに考えることにする。さらにはこの日にベルリンから来たNobuhiko MurayamaさんやSako Kojimaさんからも遊びにおいでよと誘っていただいたので、これはもう行くしかない(デュッセルでの創作がひと段落すれば……)。ベルリンはアーティスト・ヘブンだよと多くの人が言う。それがいいことかどうかはわからないけどね、ともMurayamaさん。
夜はFRISEのミヒャエルが即席のDJとなって、みんなで深夜遅くまで踊りまくった。Yukiくんはアリーナやサンドラとセッションをしていて楽しそう。この数日間、ずっと給仕とか手伝ってくれていた中国出身の若い学生カーチンにも、せっかくだから踊りなよー、と勧める。ちょっと恥ずかしそうで踊り慣れない感じだけど、それでもだいぶ楽しんでいた(たぶん)。哲学の先生であるドクター・ヘイディもノリノリで、ああ、こういう姿を見るとまただいぶ印象が変わるよなあと思う。午前2時を回り、もう通りまくって満足したので、眠ることに。
ちなみにドクター・ヘイディには「批評家とアーティストを兼任することはできるの?」と質問されたので、以下のように答えた。批評家としてのわたしは、批評対象との距離を重要なものだと思っています。しかしそれはただ距離をとればいいというものではありません。わたしは作家の考え方や、その見ている世界を知りたいと思いますし、そのためには時には懐に入っていくことも必要だと思います。そしてその感覚は、アーティストとしてのわたしとも共通しています。わたしは都市の中に潜入します。けれどそこで距離がまったく消失するわけではないのです。……ドクター・ヘイディとは熱く握手をしたものだった。
短い滞在ではあったけれど、それでも少しはお互いのことを知れたし、できればこういう関係を続けていきたいと思う。スパイラルの大田佳栄さんのこの日のプレゼンテーションは、まさにそのことがテーマだった。「2020年の後にどうやって何を残すのか?」ということ。今回のポートジャーニーは、その具体的な足がかりになったはずである。
BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから
Source: BricolaQ Blog (diary)